取締役 河原俊哉

目次

取締役 河原俊哉

社会保障制度や保険の仕組みを説明し理解していただき、理にかなったプラン提案をし、お客様の問題解決とさらなる気付きを得る一助となる『一家に1人のアドバイザー』・・・を目指し日々活動!

自分史

本音で一生涯お付き合いできる関係を築きます

誕生
  • 宝飯郡(現豊川市)に河原家の次男坊として生まれ、その後早々に岡崎市へ
  • 幼少期はわんぱくで怪我の絶えない日々、幼稚園時代に2度頭を切るはめに
小学校
  • 校内マラソン大会で”長距離走”が得意だと気付く 毎年 1位 or 2位
  • 水泳をやめ、4年生よりソフトボール部へ入部、センターでレギュラー
  • 部活動と並行し地元”六南ミラクルズに一期生としてスタート ショートでレギュラー
  • 5年生の修学旅行直前 雨天につき校内で鬼ごっこし人体損傷(足の甲) 思い出【松葉杖で参加した修学旅行】【秋の長距離走大会出場断念】
  • 勉強ができた覚えはないが算数でクラス最高点叩き出した記憶がある(夢か) とはいえ勉学は芽が出ず・・・
中学校
  • 野球部入部 レギュラー落ち 人生初の”挫折”を経験学級委員を任され、組織をまとめる楽しさを覚えた
  • 人生初の告白 成功するが一度も遊ぶことなく自然消滅
  • 勉学に取り組むことなく3年間終了、自動車整備士を夢に受験挑むが、結果第一志望高校落ち、第二志望の豊田工業高校に入学
高校
  • 若気の至り1年の夏、自主退学
  • 若さゆえに誇れない10代を歩むことに、15歳で就職するが同じ職場で長く続かず転職の日々、ここでの経験が今後の自分を左右します。
  • 親戚が体調不良により応援に駆り出される、暇を持て余していた自分が住み込みで手伝うことに(バイクの免許取得とパチンコを覚えました)
人生の転機①
  • 19歳 中卒であることに悲観 夜勤のアルバイト中、ふと将来が不安に、どう考えても明るい将来が見えず自然と涙が出てきた
  • 人生を変えるなら今だと、ない頭を振り絞り出した答え、『高校卒業しよう』すぐさま動き出し同年4月から刈谷東高校通信課に入学、通常4年の所を3年で卒業(同級生が大学卒業)
就職
  • 就職氷河期 4月就職は間に合わず、就活の日々、高校の力は借りれず手当たり次第に応募 落ちる日々、ダメもとで車が好きな事もあり車屋の求人のぼりを見て電話、社長に気に入れられ採用
  • 2010年6月、岡崎市内の自動車販売会社に営業で就職、放任教育の環境で試行錯誤し”営業”を学ぶことに 人とのかかわり方をお客様を通して学びました。過去働いてきた会社の先輩たちとの縁がここで繋がる
人生の転機➁
  • 50歳になった母親が突然倒れ、がらりと環境が変わり、元気でいつもいる事が当たり前だと思っていた母親が病気で取れ入院・手術 親のありがたみや存在の大きさを知るきっかけに、家族の絆を再認識
  • 10代は本当に迷惑かけた母親に恩返しの日々、恩返しできる時間をもらえて感謝
転職
  • 就職し3年が経った2013年6月、生命保険業界からスカウトを受け転職を決意 ジブラルタ生命保険株式会社へ入社 いつかは独立すると明言し就職
独立
  • 【お客様に最適な保険商品を提供する】を追求していく中で1社専属に限界を感じ、独立を決意 
結婚
  • 2019年、人生の般若を見付け結婚 子供父親となる。 2021年に第2子が生まれ デレデレのヒビが今です(⌒∇⌒)

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
目次